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あいすまん

あいすまん

カリスマみやじの~

         ~カリスマみやじのミレニアムどうでもいい話は定説です~

         宮城隆尋


         はて、ブッチホン。
この単語は一体どのような物体及び状態を表す言葉であるのか。これは1999年の流行語
大賞に選ばれた言葉であるが、わたしはその言葉をそのニュースで初めて耳にしたのであり、
もしやこれはやばいのではないか。流行語大賞ということは、今年流行した言葉のなかでも最
も流行した、ということであり、つまり社会一般において日本語を喋れる、または書くことのでき
る人間のうち圧倒的多数が何度も執拗に繰り返して使用し、今年いちばん意味が抜け落ちる
ほど濫用された言葉であるということである。しかしわたしはその言葉の存在自体を1999年
をあと数日残すのみとなった今し方初めて知ったのであり、これはいよいよやばいのではない
か。わたしはこの若さで、ちなみに19であるが、既に世の流れから取り残されている、という可
能性が出てくるのであり、もしわたし以外のわたしと同世代の人間の間ですらも日々必要以上
に嫌がらせの如く「ブッチホンブッチホン」と濫用されていたのであれば、それを知らないわたし
はついに人の輪の中から逸脱した人間、社会からスポイルされた人間、ドロップアウター、わち
ゃあ!死のう。

 しかし首をくくるのは事実確認をしてからでも遅くはないのであり、友人何人かに訊いてみた
ところ、「何それ?」「聞いたことはあるけど、どういうイミ?」といった反応が多い。はて。わたし
の同世代、もしくはわたしの地理的、学力的に周辺に居る人間の間では「ブッチホン」は流行し
ていなかったのであろうか。社会一般で流行語大賞として認められている言葉が、流行してい
ない。意味も知らない。さらのその中でその言葉の存在自体知らなかったわたし。わたしは、流
行に取り残された環境で世の流れを知りもしないあほどもの中で、更にあほの極み、即ちあほ
中のあほなのか。わちゃあ!死のう。

 いやしかし、わたしは死ぬ前に訴えねばならぬことがある。わたしの大脳に蓄積された知識
量が雀の涙ほどである、すなわちあほであることはひとまず棚に上げてでも、言いたいこと。そ
れは、「カリスマ」、「ミレニアム」、「定説」の3つである。わたしは「ブッチホン」よりも、同時に選
ばれた「リベンジ」「雑草魂」よりも、その3つが今年最も流行した言葉であると思う。わたしが思
うに、流行語大賞は、濫用され言葉の意味自体喪失し、使うことそのもののみが目的と化した
もの、即ち「空洞化された言葉」を選考対象としないのではないか。昨年はもとから意味など無
いものが選ばれていたし。「ブッチホン」も「リベンジ」も「雑草魂」も、空洞化された低俗なイメー
ジはない。しかしそういうことを考えないのであれば、わたしはどう考えても「カリスマ」や「ミレニ
アム」や「定説」の方が今年最もメディア上で頻繁に耳にした言葉であると思う。それはわたし
のいる環境やわたしの趣味嗜好にも因るが。ではわたしの趣味嗜好は低俗であるということ
か。わちゃあ!死のう。

 しかしこう考えると、本当に流行した言葉は流行語大賞には選ばれない、ということになる。
「定説」などは現在未解決の事件のキーワードであり、あまり洒落としてはよろしくない。家族
にとってはミイラの父は生きていたのだろうが、「どっからどう見ても死んでるだろ」ってツッ込み
たいのはやまやまであり、信者は洗脳された状態で幸せなのだからそっとしといてやろう、あま
り騒ぎ立てるのも不謹慎だ。という思慮があったことが推測される。「ミレニアム」はクリスマス
や年末になるとここぞとばかりに濫用され、意味など知る者はいなくても誰も困らぬぐらい見事
なまでに記号化されており、「カリスマ」に至ってはカリスマ美容師から始まり、カリスマ店員、カ
リスマお客、カリスマおやじ、カリスマ赤ちゃんなど、何の神々しさも凄みもないあほ丸出しの言
葉と成り果て、意味の空洞化どころか空洞であり、意味など無いのである。即ちカリスマのミレ
ニアムが定説なのであり、このように何の意味も持たなくなって吊されている低俗かつ愚劣な
言葉に賞を与え、讃えることなど言語道断、洒落にもならないのであって、賞を与えるのなら社
会問題とは無縁の、飽く迄洒落の範囲内で。流行だけに、軽く、軽うく。ゆえに去年の今頃「だ
っちゅーの!」とか言ってた人たちは既にどこかへ消えてしまった。光陰矢の如し。恐怖。 

1999.12.28『Amp!』③ 宮城隆尋



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